IMAGICA80周年記念対談
80周年を迎えて~IMAGICAその軌跡と未来~

80th

創業者・長瀬徳太郎氏の時代を見抜く眼
株式会社極東現像所の設立から株式会社東洋現像所へ~映画界と共に過ごした戦前、戦中、そして戦後

代表取締役社長・藤川幸廣(以下藤川)
今年でIMAGICAは80年周年を迎えました。この機会に長瀬文男会長と改めて今までのIMAGICAの歴史を振り返り、今後のIMAGICAの進むべき道について、お話させていただきたいと思います。まずは創業家である長瀬家の事業のお話から訊かせていただけますか。

長瀬徳太郎氏

長瀬徳太郎氏

会長・長瀬文男(以下長瀬)
長瀬産業という会社の起点はすでに江戸時代(長瀬伝兵衛により1832年京都西陣に「鱗形屋」を創業、1917年株式会社長瀬商店設立、1943年長瀬産業株式会社へ社名変更)から始まっていて、80年以上前にすでに長瀬産業として、イーストマン・コダックの日本総代理店として映画用の生フィルムの輸入はしていたんですよ。ただ、現像は手掛けていなかった。そんな中、私の祖父である徳太郎が現像の設備を日本にも導入したいと考えたんですね。まあ、そうは言っても長瀬産業は商社だから、会社としてプロセッシングの現場をやることにはあまり乗り気ではなかったんです。それで会社がやらないんだったら自分でやろうと、祖父が長瀬産業に手伝ってもらいながら、1935年に京都・太秦で極東現像所を設立したというのが始まりです。


イギリス支社との記念写真

イギリス支社との記念写真

藤川:では、極東現像所は長瀬産業の子会社という位置付けではなかったんですか。

長瀬:一部の方が異動したようですが、基本的には別会社でしたね。その後この極東現像所が割にうまく行ったわけです。イーストマン・コダックとのつながりも強くなり、彼らも人を送り込んで来てくれて、最先端の技術を教えてくれました。コルビン(極東地区・技術代表)さんという方が輸入品である現像機の使い方を教えてくれたりしていましたね。コルビン家には個人的にも大変親しくして貰っていたようです。映画産業の発展と相まって事業は拡大していきました。ただ、そうこうしているうちに太平洋戦争が始まり、1942年社名も東洋現像所に変更されます。そして、終戦を迎えるわけです。

創立総会議事録

創立総会議事録

藤川:東京裁判の記録映像の現像というのも、まさにそのときの仕事なんですよね。

長瀬:そうですね。会社の歴史は振り返ればまさに映像の歴史で、終戦後はGHQの仕事を受けることになり、東京裁判の記録映像などもその流れですね。


映画全盛期からテレビ、CMの時代へ
~新たな映像、時代に対応する先見力を携え、IMAGICAに社名変更、映像と共に歩んだ半世紀を踏まえ新たな時代へ

藤川:貴重な映像ですよね。他にも当時の貴重な映画作品に多く携わっていらっしゃいますよね?

長瀬:戦後からの会社の歴史はイコール映像の歴史、映画の歴史と言えますよね。1964年には東京オリンピックも開催され、公式記録映画の現像も担当していますね。
ただ、1970年代に入ってくると時代は、テレビ全盛期でビデオの時代に変わりつつあったし、映画のスクリーン数も減り始めていた。
僕は1983年にアメリカから戻ってくるんですが(1981年~1983年米国滞在)、いつかフィルムはなくなるんじゃないかという考えが個人的にはずっとあったんです。

1968年当時の東京工場

1968年当時の東京工場

藤川:それはやはりアメリカにも行かれていて、映画産業が右肩下がりになっているのを目の当たりにしたということが大きいんでしょうか。

長瀬:それよりもテレビが台頭してきたということのほうが大きいです。目で見る娯楽というものが、明らかに映画からテレビに変わりつつあったんですよね。
それで東洋現像所という社名はこれからの時代に合わないのではと言うことで、1986年に社名をIMAGICAに変えたんです。

藤川:創立50周年を迎え、CI委員会が発足し、会長はその委員長を務められていたんですよね?CIの大きな意義はこれからはテレビのマーケットに行くという意味をこめていたんですか?

長瀬:そうですね。テレビ、ひいてはノンフィルムということになるのかな。これからはノンフィルムの時代になっていって、フィルムは完全になくなるだろうと僕は思っていました。フィルムの缶って、持ったことありますか?すごく重いんですよね。でもそれを、ついこの間まで運んでいたわけですからね。

藤川:そうですね。完全にIMAGICAからフィルム事業をIMAGICAウェストに移管したのは昨年ですから。
そう考えても、社名変更に踏み切った80年代当時は、フィルムのビジネスもまだまだ勢いがありましたよね? その中でテレビにフォーカスして社名を変えることに社内の抵抗はなかったんですか。

長瀬:それはありましたね。僕の記憶では1980年がフィルムの売上のピークで、会社としても業績がよかったんですよ。映画産業で出たその利益をビデオにつぎ込むとなれば、当然反発も出る。実際、とにかく当時はビデオ編集機関係の機材を始め設備投資には膨大な費用がかかったし、ビデオ部門は最初は大赤字でしたからね。ただ、今まで話してきて分かると思いますが、この会社はつねに映像分野において新しいことを一番に始めてきている会社でもある。
ノンフィルム時代、ビデオ時代が来るであろうことを予測するのであれば、今、フィルムに勢いがあるうちに、映像に精通しているIMAGICAがやらずにどうする、ってことですかね。次の時代に備えておかないと、いつかフィルムはなくなってしまうんだからという理屈ですよね。


時代は平成へ
新たな挑戦、新たな体制作り、IMAGICAが目指すもの=人材の育成~受け身から自らが動くマーケティング体質への進化の重要性、会社を変化に導き、発展させていくのは社員全員の力~

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藤川:確か当時、VTR1台が2億円という時代でしたからね。そういう意味では、日本で最初のビデオのポスプロということになりますよね。

長瀬:そうですね。そのうち日本中でビデオが普及し始めたけれど、思ったほどフィルムが早くはなくならなかったんですね。それはそれで有難かったんですが、会社として変わっていくスピードが遅れたんじゃないかという可能性もあります。
業績が良ければ、なかなか人も会社も変わっていけない。そんな中でポイントになったのが、技術力なんですよね。
機材関係も安価になり、誰もが手が届くようになると、ただプロセッシングをしているだけでは、ほかとの差別化ができない。
それで1992年に子会社化したフォトロンの買収につながるわけです。昔は現像機も自分たちで作れたから差別化ができたけれど、専業メーカーができて、機材を買ってくる時代に変わり、誰でも入手できるとなったときに、差別化できるものは応用技術になるわけじゃないですか。そこには別の意味で技術力が必要になってくる。その技術力を高めて、外にアピールしていくためには、今の社内のケミカルとメカ中心の技術じゃ駄目だと。そこまでいかないと本当の意味での技術力になっていかないということで、色々マーケティングした結果、フォトロンに声を掛けたんですよね。

イマジカ・ロボット ホールディングス 長瀬 文男 会長

イマジカ・ロボット ホールディングス 長瀬 文男 会長

藤川:グループ化の始まりですね。

長瀬:そう。次に着目したのは時代が移り変わり行く中で、なくならないものは何かと考えた時に出会ったのが、すでに自社で映画を作り始めていたロボットやピクスです。即ちクリエイティブですね。ものづくりということでいえば、コンピューターがいくら発達しても、そこに「人」が介在しなければ、映画は作れないですからね。

藤川:55周年の社史を拝見しますと、今おっしゃったような「受け身から自らが動くマーケティング体質」「会社を変化に導き、発展させていくのは社員全員の力」ということを、この当時、会長がまさにおっしゃっているんですよね。
やはりマインドをマーケティング志向に変えていくという思いは、その頃からおありになったんですね。

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長瀬:そうですね。当時から今もずっと言い続けていることなんですよね。ただ、なかなか変わらない。そういう意味では、組織に新たな何かを導入して刺激していくというのも大事なことなんだと思うんですよ。せっかくロボットやピクスと同じグループ会社になっているんだから、真摯にIMAGICAのポスプロはどうなのかという声を聞いて、改善するところをどんどん改善していくというチャレンジをもっとやったほうがいいと思いますね。

藤川:1996年に「シネフィル・イマジカ(現「IMAGICA BS」)」としてCSチャンネルに参入したのもある意味、トライですよね。
(現在は株式会社IMAGICA TVとして稼働)

長瀬:トライでしたね。まさにこれなんかも受け身じゃなくてチャレンジでしたよね。ずっとお客様だった放送局を自分で持ってしまうということですからね。放送そのものをやってみて、ダイレクトに得られるものも大きいと思うんです。そうしたことをグループ内で共有できますしね。

藤川:その結果、2006年の株式会社イマジカ・ロボット ホールディングスの誕生につながると。

長瀬:そうですね。常に上流を目指してやっていくという姿勢は変えずに進んでいこうということで、2012年には(株)イマジカ・ロボット ホールディングスとして上場もしている。上場で目指したことは、もちろん事業のための資金のこともありますが、一番の目的は人材の確保だったんですよね。
人の大切さで言えば、デジタルスケープもこのころ、グループに加わっています。実はデジタルスケープには、十数年前に買収の打診をしたことがあるんですよ。ちょうど彼らが上場を控えていたこともあり、その時には実現しなかったんですけどね。

藤川:そうでしたね。

長瀬:1935年に祖父の徳太郎が事業を興してから、五反田でフィルムを現像しなくなったのが2014年。そして、今年創業80周年を迎えたわけですが、フィルムがなくなってもきちんと会社として存続し続け、しかも赤字を出していないというのは素晴らしいことですよね。
そうした中でこれからのIMAGICAがあるべき姿は、映像業界におけるオアシスのような存在になることだと思うんですよ。そこに行くと新しいものを補給できる。映像に関することなら、どんなことでもIMAGICAに行けば相談に乗ってくれる、何とかしてくれる。しかも最先端の技術と、最新のアイデア、最高のスタッフが待っている。そういう立ち位置でずっといて欲しいなと思いますね。


これからのIMAGICAが担うもの
変えるべきもの、残すもの

IMAGICA 藤川 社長

IMAGICA 藤川 幸廣 社長

藤川:そうあるために必要なものはなんだとお考えになりますか?

長瀬:信用、信頼ですね。実際、この80年の歴史の中で、多くのお客様から信頼していただいてきました。これからはそれにさらに応えていかないといけないですよね。そこを忘れないでやっていくべきだと思います。

藤川:私たちも信頼がIMAGICAの一番の強みだと思っています。
東洋現像所の設立が第1ステージだとしたら、変革を明確にした55周年が第2ステージ、そしてフィルムがなくなってからのこれからが第3ステージで、まさに今、我々社員は、そのスタート地点にいるわけですよね。これまでは映像の最終段階、仕上げるところまでを手掛けてきたIMAGICAから、更に仕上がったものを流通させ、世界に広げていくようなビジネスに変えていくというのが、今後目指す課題だと思っています。

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長瀬:映像の電送が世界規模で可能になった今、市場を世界規模で考えることには賛成です。2014年に設立したマレーシア(Imagaica International Asia Sdn.Bhd.)を起点にまずは、アジア市場をターゲットにしていく展開は望ましいと思います。今、アジア市場には勢いもあるし、ここに目を向けて新しいことを始めるIMAGICAの力はすごいと思いますし、何より、それをやっているIMAGICAの社員たちがみんなパワーがあるじゃないですか。そこはさらに前進させていきたいですよね。
これからの競合は世界になるわけだから、まさに今まで蓄積してきた「人」の力と、グループの力で、存分にその力を発揮してほしいと思いますね。

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藤川:会長が考えるこれからのIMAGICAが変えるべきもの、残すべきものってなんだとお考えですか?

長瀬:まず、既存のルールにとらわれず変化し続けること。先ほども話しましたがIMAGICAはつねに映像業界において、何事も一番に新しいことにトライしてきた。新しいことに取り組むには色々と難しいことも多いですが、やはり時代の変化にはついていかないといけないし、もっと言うと先取りしなくてはいけないんですよね。IMAGICAはずっとそうしてきた。やや極端な言い方かもしれないけれど、変化について来られない人には退場してもらうくらいの考えが必要だと、僕は思っています。
でも、忘れてはいけないのは、顧客の信頼を裏切らないこと。どんなことに取り組むにしてもIMAGICAに任せておけば安心だし、品質も保証されるという、お客様からの信頼。そこはなかなかすぐには築けないものだし、80年やってきたIMAGICAだからこその強みでもあるわけです。
時代や技術は変わっても、IMAGICAの社会的・業界的な役割というのも変わっていないと思うんですよ。常に新しいものを追い続けていって、時代の最先端の映像作りをしていく人たちをお世話するより所となる。そのためには会社自体、変わっていかなきゃいけない部分もあるけれど、その都度チャレンジをし、信用を大切にしながらやっていくべきですよね。そういう意味では、一番大切なのはみんなの意識なのかな。変えるものと残すもの、その意識は常に持って進んでいって欲しいですね。

長瀬文男

藤川:80周年を迎え、私たちは今までにない大きな変化に直面しています。求められているのはグローバル化や、映像業界のネットワーク化に即した共通プラットホームの構築などです。こうしたパラダイムシフトに対してもこれまで通りお客様からの信頼を裏切ることなく、つねに業界で新しいことに一番に取り組む企業でありつづけたいと思います。


80周年対談を終えて

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長瀬会長と初めてお会いしたのはIMAGICAがフォトロンを買収したその翌年のNABの会場でした。その頃、私はフォトロンの米国駐在員。といっても社員は私一人、文字通りのワンマンオフィスでした。

その後デジタルスケープを起業し、IMAGICAには株主になっていただいておりました。
今回80周年記念対談を行ったこの応接室は、決算を終える度ごとに報告に伺っていた場所でした。

その後、上場も上場廃止も経験したのちイマジカ・ロボットグループに加わり、そして今、IMAGICAの社長を担っている。こういうのを「縁」というのでしょうか。

私は経営者ではありますが、それ以前につねに起業家でありたいと思っています。
IMAGICA80年の歴史に裏付けされる「信頼」を糧に人材を育成しながら、これからも時代を牽引すべく、いくつもの事業を創造していきたいと思います。

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